若者におくる私の体験談(見聞録):若者よ大志をいだけ! 慶田喜則(元県立高等学校校長)
2020/03/20(金)
若者におくる私の体験談(見聞録):若者よ大志をいだけ!
~ 海外留学(2回)・大学院(4大学)での学び・研究を通して ~
慶田喜則(けいだよしのり)(元県立高等学校校長)
私は、ヨーロッパのハンガリー国立大学への4年間の海外留学を終え、私の生まれ故郷沖縄へ2017年に帰って来ました。この機会に、私の海外留学(2回)や大学院(4大学)での体験を自由に述べたいと思います。特に、若者達へのメッセージとして語ります。私の体験談(見聞録)が少しでも皆さんの参考になれば幸いです。
私は、これまで2回の海外留学(アメリカの大学とハンガリー国立大学へ留学)をして、学びや研究を成し遂げて来ました。また、4つの大学院(トロイ大学大学院、琉球大学大学院、放送大学大学院、ハンガリー国立大学)で学び、修士号を取得しました。
30歳で沖縄県立高等学校の数学教師をしながら、学校の仕事(担任、数学科主任、部活動顧問など)や子育てで忙しい中、寸暇を惜しんで留学試験の勉強をして、アメリカの大学へ派遣の入学選抜試験(留学の語学試験TOEFL、クレペリン検査、英語小論文、研究計画書、大学の成績表、英語の面接試験など)に合格し、沖縄県から充分な奨学金を得て、沖縄県派遣でカリフォルニアのサンノゼ大学(San Jose State University)へ留学しました。数学教育(アメリカの学校における数学のカリキュラム)を専攻して学びました。大学教授や学友などから多くの事を学び、とても充実していました(大学教授や学友達や周囲の人達はとても親切でした)。妻子同伴でのアメリカ留学は、とても有意義で満足のいくものでした(ちなみに、アメリカの大学での成績は全科目ともオールAでした)。宿舎は、アメリカでの友人の協力もあり、大学近くのアパートを探しました。すごく便利な場所でした。アメリカ留学に一緒に連れて行った1歳の子どもは、今では医師として、活躍しています。家族3人で広い大学内の散歩やサンフランシコの町までドライブもよくしました。サンフランシコの長い橋ゴールデンゲート・ブリッジの上をジョギングをしたり、写真撮影もしました(今もその時のなつかしい写真が沢山あります)。楽しく学んだサンノゼ大学のキャンパスの景色が、現在でもあざやかに蘇ってきます。また、大学近くに大学専用のテニスコートが30面もあり、放課後に、多くの外国人と一緒に好きなテニスを週に3日ほどプレーし、快い汗を流し、外国の友達づくりや心身の健康維持に努め、楽しいサンノゼ大学(San Jose State University)での学生生活を満喫していました。その時にアメリカで購入したテニスラッケトを今も大切に持っています。また、休日にはスタンフォード大学やワシントン大学、シリコンバレー、冬の雄大なヨセミテ国立公園、ラスベガス、超雄大なグランドキャニオン、ロッキー山脈、美しいカナダ、メキシコ・・・などにも友人達と旅行をしました。沖縄へ帰る前にはハワイやグアムにも滞在し良き経験をしました。さらに、クリスマスやThanks Giving Day(感謝祭)などでは大学教授や友人の家でのパーティーにも私と妻子の3人とも招待されて、楽しい時をすごしました。まだ沢山のアメリカでの体験談がありますが、今回はここまでにします。
36歳で沖縄県立高校の数学教師をしながら、学校の仕事(担任、学年主任、数学科主任、部活動顧問など)や子育てでとても忙しい中、寸暇を惜しんで大学院入学試験の勉強をして、トロイ大学・大学院(Troy State University)の入学選抜試験(語学試験TOEFL、英語小論文、研究計画書、大学の成績、英語面接試験など)に合格し、教育学(諸外国の教育制度、教育哲学、カウンセリング、教育社会学など)を専攻し3年間学びました。日本とアメリカの教育システム等の比較・相違点を研究し、数多くの事を学びました。授業時間も19時からの開始で、私たち社会人学生にとって学びやすい環境でした。大学院での研究生活は、とても充実したものでした。その成果を琉球大学での沖縄教育学会でも英文でテーマ:『A Comparative Study on Japanese and American Graduate School』(日本とアメリカの大学院の比較研究)として発表を行いました。
42歳で、さらに学校の仕事(担任、学年主任、部活動顧問など)や子育てで忙しくなる中、寸暇を惜しんで勉強をして、琉球大学・大学院の入学選抜試験(小論文、研究計画書、大学の成績表、面接試験など)に合格し、教育学(教育社会学、心理学、カウンセリング)を専攻し楽しく学びました。琉球大学の教授達が、私たちのように働きながら学ぶ社会人学生のために、時間割や講義時間の変更などを考慮してくれました。琉球大学・大学院は、楽しくて楽しくて最高でした。ついでに国際政治学(日米安保等)や数学教育法などの多くの科目を修得出来ました。52単位を取得しました(20単位取得で卒業可能)。琉球大学・大学院で教えていただいた尊敬する教授達と今も交流をもっています。感謝です。
48歳で、さらに益々、学校の仕事(担任、学年主任、教務主任、部活動顧問など)や子育てが忙しくなる中、寸暇を惜しんで勉強をして放送大学・大学院の入学選抜試験(英語試験、小論文、研究計画書、大学の成績、面接試験など)に合格し、「生徒指導について」の研究をすることが出来ました。途中で沖縄県教育委員会(県庁)で働くこと(知事部局で青少年問題担当)になり、大量の仕事に忙殺されそうになりながらも、大学院での勉学を続けました。とても厳しい時期でありました。千葉県の放送大学・大学院での教授との面接や授業、全国の大学院学生達との交流もあり、良い経験をしました。
60歳で沖縄県立高等学校の校長を終えた後、留学入学試験【語学試験TOEFL、全て英語によるMathematics(数学)・Physics(物理)・Chemistry(化学)・Biology(生物)の試験、英語での口頭試験、英語論作文Essey試験、英語健康診断書、銀行残高証明書、大学の成績、英語面接試験など】に挑戦して合格し、ハンガリーの国立大学で4年間、充実した研究をして来ました。数学(統計学)を専攻し学習しました。多くの外国(約20か国)から来た留学生の友人達と切磋琢磨して学習する事が出来ました。ドイツ、イギリス、スペイン、イスラエル、ノルウェー、トルコ、キプロス、ナイジェリア、インド・・・などから来た留学生の仲間達と一緒にした勉学や諸活動は、私にとって一生の宝です。また、教授の教えは最高に素晴らしく、教授は専門分野のプロであり、天才でありました。教授や留学生仲間達に感謝でいっぱいです!ハンガリーの国立大学での授業は全て英語で行われ、厳しいテストが多く、最後にはさらに厳しい口頭試問があり、その出来で成績や進級が決まります。また、コンピュータを使っての授業や試験、実験・実習も多くありました。
私が海外留学や大学院で学ぶことが出来たのは、心身の健康に恵まれ、学校の仕事(高等学校の校長や教頭、担任、学年主任、教務主任、部活動顧問など)や子育てで忙しい中、寸暇を惜しんで集中して勉強をしてきたからです。決して時間的、精神的、金銭的に余裕があって成し得てはいません。私は能力も普通です。学問への追究心・好奇心・大きな志や目標・勉強意欲・将来への夢と展望・周囲の人々(沖縄・日本・海外の人々)への愛情と感謝を常にもっています。だからこそ海外留学や大学院で学ぶことが出来たと思っています。もちろん、学校長はじめ職場の同僚・家族・周囲の人々の理解と応援があったからこそ海外留学や大学院で学ぶことを成し得ることが出来ました。本当に皆さんに感謝でいっぱいです!
この海外留学や大学院での研究や学びを通して、より深く広い視野で物事(学問や自然現象や社会現象・・・など)をとらえ、いろいろな事柄の本質や解決策や将来展望などを強く考えるようになりました。また、広い視野で日本や沖縄の良い点、改善した方がいい点などが以前よりはより深く理解できるようになりました。
この海外留学や大学院で学んだ事、実際に体験してきた事を皆さん、特に若者達のために役立つ事が出来たら幸いです。若者よ大志をいだいて、自分の目標に向かってベストを尽くしてください。応援しています!終わりに、この限られた紙面だけでは伝えきれない様々な多くの体験談がまだありますが、また次の機会に述べます。