公式/沖縄県那覇市で小学校・保育士・特別支援学校の免許資格を取得できる専門学校(昼・夜間コース)小学校校長講話「めあてを持って生きよう」 | 那覇市にある教員免許取得の専門学校(夜間コース)|育英義塾

小学校 校長講話「めあてを持って生きよう」

2019/02/10(日)

本学院の講師には、小学校の現場で長年勤務した先生方が数多くいます。中でも諸喜田和子先生は、博報賞、文部大臣奨励賞などを受賞した国語教育の大家です。
 今回は諸喜田和子先生が出版した本『にこにこ いきいき はきはき-女性校長実践記-』(1997年発行)をご紹介します。諸喜田先生は、本の中で「自ら女性ということを意識して学校経営を行ってきたつもりはありません。しかし、あえて付言させて頂くならば、女性校長としての特質を生かした学校経営を模索していた」とし、「朝のあいさつ運動」や地域教育懇談会、親子読書の定例化など、女性ならではの細やかな心配りで、様々な教育実践を行ってきました。
 その中から今回は、校長講話をご紹介し、諸喜田先生がいかに子どもや保護者と向き合ってきたのかをご紹介したいと思います。

子どもたちへ(校長講話より抜粋)
「めあてを持って生きよう」

 みなさんは、何のために学校に来ていますか。勉強するために?そうですね。遊ぶために?そうかな。ほかにもあるかな。
 学校は、「よく学び、よく遊ぶ」ためにあるのでしょうね。でも、なんと言ってもいろんなことを勉強し、しっかりした人間になるためにあるのです。
 みなさんも知っていると思いますが、世界のあちらこちらの国々では、戦争のために、どんなに勉強したいと思っても、勉強のできない子どもたちも大勢います。戦争のために爆弾が飛んできて、いつ死ぬかもしれない怖さや、おなかを空かして死にかけている子どもたちが大勢いるのです。勉強したくても学用品もないのです。
 でも一日も早く学校へ行っていろんなことを勉強したいと願っているのです。
 その子どもたちと皆さんを比べてみるとどう思いますか。みなさんは、毎日学校に来ていますが、何も考えずにただ学校に来て、ぼんやりして過ごし、決められたことだけをして、時間が終わったら家に帰っていくという子がいるのではないですか。
 「今日は・・・をしよう」と心に決めて学校に来る人が何人いるでしょうか。
 「今日は、昨日わからなかった算数の問題を、調べたり、質問したりして、分かって帰ろう」とか、「友達のために何かしてあげよう」とか、「掃除当番をきちんとやって、人に迷惑をかけないようにしよう」などと、何でもよいから、心に決めてくる人があったら、こんな人は、とてもすばらしい人で、一日一日成長していく人です。
 みなさん、ぜひ、一日の自分のめあてを持ってください。すぐやればできそうな目標を立てることが良いのです。またつづけてやればできそうな目標でもよいのです。漢字を毎日3個ずつ覚えようとか、算数は人に遅れないようにしようとか、本をいっぱい読んで立派な人間になろうときめて実行している人もいるでしょう。
 また、人のために今自分たちでできることは何だろうと考え、見つけ出してやってみることも大変すばらしいことです。
 各学級で立てた学級目標や、自分の目標に向かってそれをやりとげるように努力しなくてはいけません。人は、目標を持つといきいきしてくるものです。みんなで次のことばを考えてみたいと思います。
「夢」
 夢があるものは希望がある
 希望があるものは目標がある
 目標があるものは計画がある
 計画があるものは行動がある
 行動があるものは反省がある
 反省があるものは進歩がある
 進歩があるものこそ夢がある
(サムエル・ウルマン作)

「人間の生き方」

 今日はみなさんに、人間の生き方についてお話しますのでよく考えてほしいと思います。
 ここに「あほろくの川だいこ」という本がありますが、この本に出てくる人はあほろく、おとくばあさ、大勢の村人たちです。
 あほろくは、洪水のため、家が流され、川下のところで村人に救われました。助けられた青年は自分の名前も自分の家のこともみんな忘れていました。何を聞かれても思い出せないのです。家に押しつぶされたとき記憶がなくなってしまったのです。それで、その青年におほろくという名前をつけました。ところで、あほろくを誰が面倒見ることにするかということでみんなで話し合いました。誰も進んで申し出るものはいませんでした。しかし、一人暮らしの貧しいおとくばあさという人が、ろくは、わたしが引き取って面倒を見るということになり、その日から、おとくばあさと暮らすことになりました。ろくは、よく働きました。おとくばあさは、ろくの記憶を呼び覚ますために草刈りをしたり、畑仕事をしたりしながら歌を歌ったりして聞かせました。すると、ろくは、何かを思い出したように少し笑顔を見せたり、歌を口ずさむようになりました。おとくばあさは、大変よろこびました。ろく、思い出したのか。元気なときは、こんな歌を歌って働いていたのかと、おとくばあさは、自分の子どものことのように喜びました。こうして、ろくと楽しく暮らしていたおとくばあさが病気になりました。村の頭を呼び、自分がなくなったらろくのことをよろしく頼む、ろくにでもできる仕事を与えてほしい。村の頭がまかしておきなさいというと、おとくばあさは、息を引き取りました。
 とくは、庄屋様の家に連れていかれたが、ご飯もろくに与えられませんでした。おまけに、ろくを見て笑ったり、悪口をいったりしました。
 ろくの仕事は、洪水が起きたとき村人を洪水から守るために知らせる太鼓打ちの仕事です。太鼓の打ち方で水かさの様子を知らせるのです。水かさが増してきたら、お前を迎えに来るから心配しないで良いといったのです。それから何日かして大雨となり、水かさが増えるとともに、とくはどんどん太鼓を打ちならし村人に知らせました。迎えに来るのを待っていたが、ろくの立っている足下から胸のあたりまで水が来たとき、太鼓とともに流されてしまいました。庄屋様を始め村人たちは、ろくのことなど忘れて我先にとみんな逃げていたのでした。さてみなさん、あほろく、おとくばあさ、村人たちについてどう思いますか。どちらが人間の生き方としていいか考えてください。

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